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ダイヤモンドやルビーなど、貴石自体が持つ輝きは大変素晴らしいですが、その魅力を最大限に活かすにはデザイン力が欠かせません。ジュエリー製造における屋台骨とも言うべき存在がジュエリーデザイナーとなります。
さらにその中でも、独自のセンスと類まれな表現力で付加価値を持つデザイナーも存在します。
彼・彼女らのデザインに魅了される人々は数知れず。そういったデザイナーが手掛けたジュエリーは購入額はもちろん、買取相場にもまた価値が反映されます。
この記事ではジュエリーデザイナーについて解説いたします。
大手宝飾メーカーに頼らず、独自ファンを獲得してきた高名な日本人ジュエリーデザイナーやそれぞれの買取相場もあわせてまとめております。
有名デザイナーのジュエリー購入をご検討の方も売却をお考えの方も必見の内容です!
1. ジュエリーデザイナーとは?
ジュエリーデザイナーとは、読んで字のごとくリングやネックレス、イヤリングにブローチなどのジュエリーデザインを手掛ける職種を指します。
例えばブライダルリングであれば石はあまり突出せず小さめに。カクテルパーティー用のブレスレットであれば、華奢でも石はふんだんに・・・など、シーン一つとってもデザインの重要性は明確です。
加えてブランドの独自性を出すことにも繋がり、ジュエリー製造においてデザイナーはなくてはならない存在なのです。
具体的な仕事は、デザイン画の作成となります。
ただ発想の赴くままに作るのではありません。
クライアント(または所属する企業)の要望や企画に基づき、コストやスケジュールを計算しながら、「指示書」「製図」「レタリング」(完成予想図)などをひっくるめて作成します。
また、デザイナーというと独立して独自ブランドを立ち上げている人を想像するかもしれません。
しかしながらそれで大成功しているデザイナーは決して多くはなく、企業に属したりフリーランスとして企業から仕事を請け負ったりすることがほとんどです。
なお、こういったジュエリーデザイナーになるためには、専門学校や芸術・美術系の大学へ行くことが一般的です。デザインだけでなく、ジュエリーの科学的教養やマーケティングなどを身につけなくてはなりません。
2. 人気ジュエリーデザイナー~梶光夫氏、石川暢子氏、福原佐智氏~
企業デザイナーや外注委託が多い中、突出して名を馳せているジュエリーデザイナーも存在します。
大手ブランドの名前がなくとも、「この人のデザインのジュエリーを購入したい!」という固定ファンがいるほど凄まじい人気を博すことも。
こういったジュエリーデザイナーが手掛けた品物は市場で需要が高く、買取相場にも反映されます。
そんな高額買取をも期待できる、人気の日本人ジュエリーデザイナーを三人ご紹介いたします!
梶光夫氏、石川暢子(のぶこ)氏、福原佐智氏です。
① ジュエリーデザイナー梶光夫氏とは
ジュエリーに詳しくなくても、梶光夫氏の名前はご存知かもしれません。
『青春の城下町』などを代表曲に持つ、大ブレイクした歌手でもありました。今もメディアに出演することがあるので、耳にしたこともあるでしょう。
梶光夫氏の実家は時計・宝石商。長男であったため家業を継ぐ必要があり、5年で芸能生活に一度終止符を打ち、ジュエリーの道に進みました。
芸能人としても才能を発揮しましたが、ジュエリーデザイナーとしても類まれであったと言う他ありません。
梶光夫氏はGIA(米国宝石学会)に留学し、同団体が主催する国際的な権威GG(グラジュエイトジェモロジスト)の称号を取得しました。当時、GGを取得した日本人となると非常に稀です。
帰国後はダイヤモンド鑑定機関「日本ダイヤモンド鑑定所」を設立するなど、宝石鑑定家として名を馳せていきました。
1983年にジュエリーデザイナーとしての活動を開始し、現在のフラグシップコレクションでもある「エマーユジュエリー」で鮮烈なデビューを遂げます。
エマーユとは、フランス語でエナメル七宝のこと。
梶光夫氏は、フランスの美術工芸である七宝を、ペンダントやブローチなどのジュエリーに落とし込んでしまったのです。
さながら工芸品を身に着けているような美しさと、芸術をジュエリーにしてしまうという大胆な独創性が大ヒット。
瞬く間に梶光夫氏の名が世界を駆け巡りました。
梶光夫氏のジュエリーのテーマはクラシック&モダン。
梶光夫氏はアンティークジュエリーや時計のコレクターとしても有名で、歴史ある銘品に囲まれてきた彼だからこそエマーユ技法をジュエリーとして昇華できたのでしょう。
また、梶光夫氏の華やかな経歴を語るうえで、「トレンブランジュエリー」の独自製法は欠かせません。
トレンブランとはフランス語で揺れるという意味ですが、花や枝がモチーフにされたジュエリーにバネを仕込み、動きに合わせて揺れる仕様を指します。
アンティークジュエリーでよく見られますが、梶光夫氏は、トレンブランジュエリーの製作技術で特許を取得しているのです。
1999年に『ローマの休日』や『風と共に去りぬ』など往年の名作映画を、そして2002年に世界遺産をエマーユジュエリーで表現したことでまた話題を呼びます。
さらに2007年にメメント・モリ(ラテン語で死を忘れるな)をテーマにした「スカルジュエリー」など、新コレクションを続々と発表してきました。
前述の通り、梶光夫氏のテーマは「クラシック&モダン」。
ただエマーユなどの古典手法を取り入れるだけでなく、そこには洗練されたフレームが必ず存在するのです。
梶光夫氏は2018年に創作活動35周年を迎えましたが、まだまだ現役。ジュエリーデザインへの情熱は止みません。
現在は「100年後も残る未来のアンティーク」を目標に、Mitsuo Kajiというブランドとして自社サロンを経営しています。
完全予約制で、ほぼ受注生産のような形となり、贅沢に工芸技法や貴石をあしらったジュエリーは非常に高価格帯となります。
しかしながら独特かつ美しいジュエリーがあまたの宝石好きを魅了しており、国内外でファンを抱えています。
② ジュエリーデザイナー石川暢子(のぶこ)氏とは
2012年1月に他界されるまで、女性ジュエリーデザイナーとして日本のジュエリー産業を牽引してきた存在が石川暢子氏です。
石川暢子氏は「日本発ジュエリー」の草分け的存在。
と言うのも、日本は貴石を愛でる文化はありましたが、ネックレスやイヤリングなど装身具として身に着けることは一般的ではありませんでした。
着物という肌を露出しない和装が大きく影響しているでしょう。
明治時代に文明開化が進むと宝飾品が輸入されてはきましたが、飽くまで舶来品で、独自文化としてはあまり発展していません。
そんな中で石川暢子氏は、ヨーロッパの伝統ジュエリーを上手にジャパンナイズし日本人に合うジュエリーデザインの開発を行います。ただの「日本製」ではなく「日本発ジュエリー」を確立したのです。
石川暢子氏のジュエリーデザイナーとしての経歴は1970年頃、東京芸術大学の院生時代から始まります。
工芸学科彫金科の学生であった彼女は、在学中に既にシルバーアクセサリーを製作していました。
卒業後は金属アーティスト業に従事しましたが、結婚後ジュエリーデザイナーとして自身の工房を開き「NOBUKO ISHIKAWA」というブランドで名を馳せていきました。
なお、ジュエリーを始めヨーロッパ伝統技術は分業制が多く、デザインから製造までを一手に担う工房はあまり多くはありません。
しかしながら石川暢子氏は自社工房を開設し、こだわりのデザイン・設計・製造を一貫して自社生産するスタイルを採用します。当時石川暢子氏以外にそのような生産形態をとるジュエラーは日本には存在しませんでした。
そんな石川暢子氏のデザインが「メイドインジャパン」ではなく「日本発ジュエリー」と言える理由は日本古来の工芸技術や彫金技法をスタイルとして取り入れていること。
例えば漆や七宝をメインで使用したり、和彫りに代表される彫金技術で繊細なデザインを可能にしました。
さらに、ジュエリーにわびさび、とでも言うべきか、日本独自の粋や雅を活かしていることも特徴です。
欧州や米国では、宝石は大きければ大きいほど重宝されます。アンティーク品などはその傾向がより顕著でしょう。
一方で日本ではわかりやすい華美さはあまり好まれません。「成金」といったイメージが付きまといます。
そこで石川暢子氏は日本人の奥ゆかしさを真摯に考えた時、「日本女性の美しさを引き出すためのジュエリー」を考えつきました。
海外のように個性的なジュエリーを編み出すのではなく、日常に溶け込むように華を添えるジュエリーこそが日本発ジュエリーだ、と。
石川暢子氏はこの哲学を「品格という美意識」と表現し、自身のジュエリーや工房での永遠のテーマに設定しました。
石川暢子氏がデザインしたジュエリーで最も有名なものは「プルミエ アートコレクション」です。
これは、西欧神話や日本古典を表現したもので、源氏物語の一節を切り取ったブローチやモンサンミッシェルを象った髪飾りなど、一つの芸術作品のようなジュエリーとなっています。
オートクチュール以外にも、日常で使用できるディフュージョン(廉価版)の「アズタイム」では、メルヘン物語や自然をテーマにした、フェミニンなブローチやネックレスがラインナップされています。
もちろんどの価格帯であっても、根底にはいつも「品格という美意識」が根付いていたことは作品を見ればおわかりいただけるでしょう。
残念ながら石川暢子氏は68歳という若さでこの世を去りましたが、現在NOBUKO ISHIKAWAは実妹の石川佳柄(よしえ)氏が後を引き継いでおり、彼女の遺志は受け継がれています。
NOBUKO ISHIKAWAのジュエリーは、日本橋三越本店にある正規ブティック他、百貨店や宝飾店で手に入れることが可能です。
③ ジュエリーデザイナー福原佐智氏とは
福原佐智氏もまた、石川暢子氏と同様に日本のジュエリー発展を支えたデザイナーです。
山口県岩国市で生を受けた福原佐智氏。幼少からジュエリーデザイナーを目指していたと言いますが、きっかけは手塚治虫さんのアニメだったそう。
手塚作品のスタールビーを目にし、そこからデザインだけでなく鉱物収集にも関心を持つようになりました。
1975年にジュエリー専門学校を卒業した後、大手宝飾会社に入社し、ジェリーデザインを手掛けます。
この会社員時代から頭角を現しており、国際的なデザインコンテストで続々と受賞を果たしました。
その後退職し、ジュエリーデザイナーとして独立。彼女自身のブランドである「Sachi」を創業させました。
福原佐智氏はバーゼルワールドを始め、世界各地の見本市に協賛出品をすることとなります。
徐々に海外でその名を広め、イタリアのヴァレンツァに留学した際は現地クラフトマンとコラボレーションを果たすこともありました。
このように海外での経験を積むうちにデザインを切磋琢磨していったと言います。
確かに福原佐智氏のジュエリーは、一つの固定観念だけでは生まれないような、美しくも個性的で、一度見たら忘れられないデザインをしています。
ただ「人と違う」だけでなく、様々なジュエリー文化を吸収し、自分色に染め上げることに成功しているのでしょう。
モチーフは福原佐智氏が大切にする「自然回帰」で、自身が育った山口県の郷土を含む、様々な自然がイメージされています。
ただ象るだけでなく、大胆な貴石遣いもポイント。
自然からの贈り物である鉱物をフィーチャーしているのですね。
自身を鉱物マニアと称しているためか、使われる石も独特です。
ダイヤモンドやルビー、サファイアはもちろんのこと、珊瑚やヒスイ、オニキスなどハイジュエラーには珍しい石がジュエリーに採用されています。
福原佐智氏の斬新で独創性溢れるデザインと石そのものの個性が融合し、彼女が作るジュエリーは「世界でオンリーワン」のものであると評価されます。
彼女自身もまた石ひとつひとつの個性を大切にしており、Sachiの作品を「本当に世界にただひとつの宝石」と自負しているのです。
ラインナップもまた「自然回帰」で、モアレ、地球誕生(アース・バース)やカオス、ロータス、コズミックローズなど、あらゆる自然の事象がテーマとされています。
基本的には少量多品種製造ですが、いくつかのシリーズも存在します。
代表的なものはモアレ。福原佐智氏が1980年代から続けているデザインで、杉の木目や羽など、規則的に模様を並べる装飾技法が採られています。
また、コズミックローズでは、彼女が得意とする有機素材・サンゴと無機質なアクリルを組み合わせて宇宙観を表現したという、近未来的なジュエリーです。
さらに地球誕生ではアンモナイトの化石でアクセントを付けるという、かつてない斬新さで世間を沸かせました。
このように、テーマに沿って様々な貴石・鉱物が使用されていることもブランドの大きな魅力となります。
Sachiはブティックは持ちませんが、福原佐智氏のジュエリーは国内宝飾店で購入することが可能です。
また、オーダーメイドを受け付けており、「自分だけのジュエリー」を求める層から根強い支持を集め続けています。
3. 日本人ジュエリーデザイナー梶光夫氏、石川暢子氏、福原佐智氏のジュエリー買取相場
最後に、当店グリーバーでの、三人の参考買取価格をご案内いたします。
独立系ブランドには共通することですが、少量多品種生産となり、「このモデルが大人気!」といったラインは出にくくなります。
だからこそ作品一個一個の人気・需要の高さが買取市場での強さとして反映されやすく、「このデザイナーがデザインしたから」という理由で高額査定の対象となる傾向があります。
なお、ジュエリー専門の買取店であっても、ブランド知識のないお店も存在します。
「ジュエリーデザイナー」ともなると大手ほどメジャーではないので、きちんとこの三人がデザインしたことの価値を評価してくれない、なんてお店に売却することは避けてください。
とりわけ梶光夫氏、石川暢子氏、福原佐智氏のジュエリーは査定の難しい色石やデザインを使用しているので、きちんと知識やノウハウを持ったお店を選択することは、通常のジュエリーを売却する時以上に気をつけなくてはなりません。
では、三人のジュエリーデザイナーの買取価格を、アイテムごとにご紹介いたします。
① 梶光夫氏のジュエリーの参考買取価格
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ラーヴァ(LAVA)は、イタリア・ナポリ近郊に位置するヴェスヴィオ火山の溶岩から生成された素材のこと。それをアンティークカメオに落とし込んだ、梶光夫氏独自のジュエリーとなっています。
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※参考買取価格は、未使用~僅かな傷レベルのコンディションでの相場となります。
※ダイヤモンドや貴金属などの素材相場の変動により上記価格で買い取れないこともございます。
※使用金属、リングサイズ、付属品の有無により、買取価格は異なります。
※リングの場合、サイズは10号(50)~15号(55)の価格です。
※記事作成時の価格となりますので、現在の相場はこちらをご確認ください。
② 石川暢子氏のジュエリーの参考買取価格
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※参考買取価格は、未使用~僅かな傷レベルのコンディションでの相場となります。
※ダイヤモンドや貴金属などの素材相場の変動により上記価格で買い取れないこともございます。
※使用金属、リングサイズ、付属品の有無により、買取価格は異なります。
※リングの場合、サイズは10号(50)~15号(55)の価格です。
※記事作成時の価格となりますので、現在の相場はこちらをご確認ください。
③ 福原佐智氏のジュエリーの参考買取価格
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※参考買取価格は、未使用~僅かな傷レベルのコンディションでの相場となります。
※ダイヤモンドや貴金属などの素材相場の変動により上記価格で買い取れないこともございます。
※使用金属、リングサイズ、付属品の有無により、買取価格は異なります。
※リングの場合、サイズは10号(50)~15号(55)の価格です。
※記事作成時の価格となりますので、現在の相場はこちらをご確認ください。
4. まとめ
ジュエリーデザイナーについて。および、中でも独自ブランドを持ち、存在感を発揮している日本人の梶光夫氏・石川暢子氏・福原佐智氏についてご紹介いたしました。
彼・彼女たちは美的センスと比類なきジュエリーへのこだわりを最高の武器に、根強いファンを獲得しています。一方で、大手資本のようなマーケティング力はなく、認知度はどうしても低くなりがちです。
当店グリーバーでは、ネームバリューだけでなくデザイナーの価値や使用される素材の値打ちをきっちり評価させていただいております。今回ご紹介しデザイナーのジュエリーを積極買取しておりますので、ご売却をお考えの方は一度ご相談ください。